2017.08.22
アートが受け手に与える衝撃は、その後にそれぞれの道を歩む原動力となる、時に辛辣でも本来暖かな機能と呼べるだろうか。 坂本龍一、大友良英両氏と文化庁の芸術選奨から同時に認められる、表現者として深い懐。それでいて、マルセル・デュシャンからイサム・ノグチの系譜までを自然に乗りこなす、柔軟な説得力。 私たちは、毛利悠子がしなやかに示す近い未来の「プロトタイプ」を受け止め、社会の何を、また生活の何を省みることができるのか。そして、それを反映させた先の社会には、何が待っているのか。 言語化することの意味の有無はさておき、明日以降、自らの具体的行動のきっかけが詰まったインタビュー、最終回です。
札幌国際芸術祭の設営がようやく終わり、ホッとして、スタッフの皆さんとランチ
ー成長したり、知恵がついてくると、ある意味理屈っぽく、説教臭くなるのが常で、たとえそれが正論だとしてもそのせいで興味が薄れちゃうということはあって、毛利さんはそこをイジり過ぎない、ある意味の「素直さ」みたいな部分を維持できているというか。 毛利 なるほど、そうおっしゃっていただけるとうれしいです。たまに、自分の中にもうちょっと複雑さが欲しくなることもありますが……(笑)。 個人的なモチベーションとしては「景色のようなものをつくりたい」というのに近いものがあるのかもしれない。いろいろなところで見てきたものからインスピレーションをもらうわけです。 例えば、震災後しばらくして訪れた石巻の海岸では、震災で地盤が5メートルほど下がってしまったということで、新たに土を盛っていた。あるいは、2012年に訪れたのですが、札幌にモエレ沼公園という大きな公園があります。そこはもともとゴミの埋立場だったのを、イサム・ノグチが「人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です」と言って、結果的に人工の山やガラスのピラミッドが建つ彫刻空間になった。 で、こういった光景とか、先ほどお話しした青森のゴミの山、あるいは東京にあるゴミ処理場の大草原なんかもみんな、何となく見た感じ、盛り土の角度が45度くらいで同じなんです。「これ、何なんだろう?」って思ってたら、それはショベルカーがギリギリ登れる角度だった。あ、これってつまり、人工的な台地の象徴なんだってことにハタと気づいたんです。 ー結局台地のかたちを決定しているのは、人工的な機械だった。 毛利 そう、テクノロジーが地形を決定している。いまのところは剥き出しの人工物だから気づきやすいけれど、100年後には自然公園になっているかもしれない。どこまでが人工でどこからが自然かなんて、そんな時間幅で見ればあいまいなものですよね。人間はどこまでを記憶しておけばいいのかしら……。そういうふうに偶然重なっていくような景色を、ある瞬間に一回インスタレーションとして出したい、みたいな欲望があるんです。結局、この角度の場合は「春の祭典」の舞台美術に活かされました。
水漏れを日用品をつかって即興的になおしていき、循環させる作品 《モレモレ:与えられた落水 #4-6》
2017White Rainbow, London, 2017. Photo by Damian Griffiths.
ーだんだん、「なぜそこに興味を持つ?」と聞くのは無粋になっていくレベルに入ってきた気がします。 毛利 最近、一部の思想系の人たちのあいだで「プロトタイプネス」というようなことが言われているみたいで。昔からある絵画や彫刻といったものでもなければ、最近のアートの中心形態であるリレーショナル・アートのようにプロセスとかプロジェクトであること自体を作品とするのでもない……プロトタイプ性ということで「とりあえず、その形態があるということが最も具体的」みたい感じのことを指しているんじゃないかとざっくり自分では捉えています。 あるサイトで研究者の方が書かれたまとめでは、プロトタイプとは「作品の実現における失敗もまた、創造プロセスの構成的次元とみなされる。すなわちそこでは、失敗自体が作品のひとつの「デモンストレーション」となっている」「「プロトタイプとしての作品」は、プロセスの「中断」(coupe)とみなされる。そこで問題となるのは、プロセスを休止することであり、オブジェという形でプロジェクトに(その都度)何らかの一貫性を与えることである」なんてあって、あらーこれって私のことやんか~、なんて(笑)。 実際、私がやっているアートはプロジェクト形態ではあるけれど、主眼は、そのプロジェクトに何通りも潜在的に存在している作品形態の原型を、その場で制作することにあるんです。 あと、これはいつも作品をつくりながら考えているのだけれど、正しいかどうかは別として、それをつくる理由がめっちゃたくさんミルフィーユ状になっていて、カットしたときに見えたケーキの断面が自分の作品だと思っています。 ー最後に、文化庁芸術選賞新人賞、おめでとうございます。 毛利 ありがとうございます。どんな状況なのか何もわからないまま、いきなり連絡が届いたので驚きました。家族が喜んでくれましたね。具体的な評価だからまわりの反応も大きくて「毛利が何やってるか今もよくわからないけれど、続けてきたから評価されたんだねえ」みたいな(笑)。でも、自分としてはこれからも淡々とつくりつづけていくのみです。
高橋コレクション・マインドフルネス2017@山形美術館、札幌芸術祭2017、リヨン・ビエンナーレ2017@仏・リヨン市といったグループ展参加、個展、作品集『Yuko Mohri』(英・White Rainbow、デザイン=シュテフィ・オラズィ)の日本語訳リーフレット刊行等々を控える毛利悠子の近況は、コチラ。 http://mohrizm.net
エネルギーのポータルサイト「ENECT」編集長。1975年東京生、School of Visual Arts卒。96〜01年NY在住、2012〜15年福島市在住。家事と生活の現場から見えるSDGs実践家。あらゆる生命を軸に社会を促す「BIOCRACY(ビオクラシー)」提唱。著書に『虚人と巨人』(辰巳出版)など https://www.facebook.com/dojo.screening X @soilscreening
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