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【最終回】被災地応援でんき|キャンドルジュンさんに聞く

【最終回】被災地応援でんき|キャンドルジュンさんに聞く

2020.10.01

  被災地でつくられている電気を使い、または被災地で電気をつくることそのものを増やす、かつてない試みではあるが、それが「被災地応援でんき」の標榜するところだ。  ただCSRや社会貢献で、余力のある企業が本業の脇で被災地を応援するのではない。やる方もそれが本業だし、大変な想いをした被災地も自立の道を切り拓くし、現地に行けない県外からの支援は誰もが使う電気を通じて、有機的な人と人との繋がりを形成しながら実現される。  LOVE FOR NIPPONが生まれるきっかけとなった3.11は、来年で10年の節目を迎える。仲間、賛同者の輪を増やしながら、まずはご自身で道なき道を切り拓いてこられたキャンドルジュン(以下、ジュン)さん。  「魔法」の解けた私たちがどんな未来をつくり出せるか、そしてその時もみんな電力は一緒に脇に立っていられるか。いろいろなことを楽しみにしながら、まずは自らが動きたい。

熊本地震仮設住宅にて、命日にキャンドルナイト

ー平和の火の活動の最初の頃は世界行脚だったのが、3.11以降は福島を中心とする国内に切り替わった? ジュン 3.11以降の海外は、息子を連れて一回ネパールに行っただけです。  震災から3年間くらいは毎日のように福島に行っていて、3年目頃から5日に一回くらいのペースになっているので、相当福島に行っています。  今は熊本の水害の支援と、昨年の台風19号で言えば長野でも千曲川の決壊と、直近では山形県で最上川の氾濫もありました。  とはいえコロナがあるので、自分が現地に行くというよりは、現地のみんなに経済的だったり物質的な支援をしているという動きになっています。  この10年くらいのLOVE FORで見ても、最近は熊本県なら、地震の時からの仲間たちが現地で活動してくれるし、山形にも新潟や福島のメンバーが行ってくれるようになりました。 ーキャンドルジュンのDNAが確実にひろがっている。

新潟にて

ジュン 自分が何もしなくても、みんながしてくれるという状況にはなりつつあります。 ー今後、気候変動もあって大きな災害が増えるということがよく語られています。異常な気象が普通になりつつあるのは感じますか?

ジュン 温暖化、温暖化言われてきて、ずっとそれは感じつつも、そこにとらわれるよりは「何ができるんだろうか?」みたいなことの方が、自分に向いているというか(笑)。  どこかで、問題点をアップしていってみんなに伝えるようなことは「自分の役目じゃないな」と思っていて、もっと詳しく情報収集して精査、整理して出してくれる人は別にいる。自分は、問題に対して「解決策は何だろう?」ということに頭を使った方がいいと思っています。  それを「楽しい」と言うと語弊があるんですが、問題点を人に伝え続けるのはやはり「大変だな」って。  たぶん、僕は両方をセットにしたいというか、「こんなに大変なんだよね」と言う時には「こんなこともできるよ」ということもセットにしないと、片手落ちな気がしてしまう。

 あとは「キャンドルジュン」をはじめたスタートって、アートのことを考えた時に「今日の夕日はすごい」ということって、気づかなかったら何も意味がないわけです。「夕日は当たり前」と思ってスルーしがちなところで、それを「すごい」と思える自分が一番すごいんじゃないかなと思うんです。  それはつまり、キャンドル灯してキャンドル自体がすごいんじゃなくて、「それぞれ自分の中に『すごい』は秘められているんじゃないの?」という。  だからキャンドルには、そのスイッチを入れる役目になってくれればいいという感覚です。  それは初期から今までも変わっていません。  そこで「寄附をしてください」、「物資をください」じゃなくて、LOVE FORの形状で一番大切にしたいのは、集合して同じビブスを着て、同じ単純作業をするということではない。  それよりも、それぞれにしかできないことがあるはずだから、それなら「それを最大限活かしてもらった方がいいよねと」いうことなんです。 ーそれぞれに自主的、自発的、能動的であって欲しい。

津波被害直後の宮城県塩釜にて、GAMAROCKのはじまり

ジュン キャンドルオデッセイという旅をはじめた頃は、旅で感じたことを映像にしたり、ミュージシャンに集まってもらってイベントにして、トークとセミナーっぽい感じにしたこともありました。確かに最初の頃は自分のファンというか、どちらかというと「救いを求める」みたいな人たちも多くいて。でもわかったのは「自分には誰も救えない」ということでした。  精神的な病とかって、強烈なトラウマとか事件とかのそれなりの反動で生まれていて、それが「キャンドルで癒された」、「言葉で救いが見えた」ということを言われても、その瞬間の救いにはなったとしても、根本的な救いは「無理だな」と。  結論として、精神的な病というものは、病として認知されてしまったがゆえに、しかもそこに特効薬はない。だからそこで、瞬間瞬間に救えたような気だけしてしまう。  もっとこの瞬間に「物資がない」、「これが必要」みたいな緊急性を要している人たちに助けを出した方が、気持ち的肉体的時間的に「いいな」と思うようになりました。しかもそれができれば、かつての被災体験者が支援者に変わっていくこともありえます。  だからむしろ、精神的な病を持っている人たちには「自分にできることはないよ」と言ってあげた方が救いになるんじゃないかなって。 ー今も毎月11日の、月命日の活動は続けているんですか?

月命日に小学校訪問

ジュン 2011年から3年間は宮城でも岩手でも3県でやっていたんですが、その後は福島限定で継続しています。 ー今仰っているような、個々人の自発性の話というのは、東京の人たち、行った先の方々で違いますか? ジュン わりと都会型の人たちの方ができないことが多いと思います。地方の方が、クセが強いことはあっても積極性があって、「何かを一緒にやる」ということが身についている人たちが多い。  福島だと福島のLOVE FORメンバーが月命日を構成してくれています。「今年は何月にどこ、何月にどこで、内容はこんな感じで」みたいなことまで自発的に動いてくれて、会場との交渉までしてくれているという状況があります。僕は半分お飾りみたいな感じで(笑)。  でもそれが、この先の10年は、小学校を訪問すると生徒の誰も3.11経験者ではないという状況ができていきます。「ここからの課題は考えないといけない」と思っています。 ー来年で10年の節目となる3.11、もう予定はあるんでしょうか?

3.11当初の、炊き出し物資提供風景

ジュン 場所はJビレッジで、いろいろ報道もありましたがちゃんと除染もして、キャンドルナイトと凧揚げはしたいと思っています。  日にちとか時間は日本人は大切にするので、黙祷時間が3.11の14時台となると、その時間にキャンドルを灯しても明るい。ただ空が大きくて、前回凧を揚げた時に思いのほか感動したんです。子どもたちも楽しんで凧に夢を描いてくれたし、凧に使われた紙のエピソードや、大人たちが必死に「子どもの夢を空に飛ばそう」とする行為って、すごくポジティブだと思いました。  福島は大きい県なので、各地の想いをちゃんと集めて火を灯したい。  続いて13日の土曜日、フェスティバル開催をするかしないかを福島県と調整しています。12日金曜にはシンポジウムができたらなと思っています。  コロナのことを考えながら、極力11日から週末にかけての複数日数イベントを開催して、多世代とか他地域からの交流を促したい。  双葉町には「伝承館」という施設もできました。ずいぶん前から帰村して、全然平気だから「町おこし」をしていきたいという地域もあります。いろいろな立場の方々が一緒になれる場になればと思います。 CIMG1318

ーお祝いの場でも、ジュンさんはお酒を呑まれないですね。 ジュン お酒もタバコも全部やめました。  それはアメリカの旅の時、いろいろな人に世話になったのがきっかけです。もちろんそれまでも世話になっているはずなんですが、わりと生意気だったというか「全部自分でやってる」というつもりになっていたのが、アメリカの時にどうしようもなく世話になってしまった。  平和の火を灯したりアメリカの旅以降、「本当に必要なものは何か」ということに徐々に集中していったんです。戦争とかテロについて話すと、これは特に男性に多いんですが、「歴史を見ろよ」、「人類がいる限り戦争はなくならない」みたいなことを言われます。  そこを考えた時、誰かカリスマ性のある人がリーダーシップをとって「世界を変えよう」ということで世界は変わるんじゃない。もっと様々な現象から同時多発的に、市民みんながチャンネルを合わせる作業をしないと、世界は変わらないんじゃないかと思います。  そして、できればそれが「原爆が落ちました」とか、誰かの人為的な悲しみから起きる、「戦争やめよう」みたいなチャンネル合わせじゃない方がいいなと思います。

そこは、あわよくばきっかけが自然災害で、それで「マインド変えていきましょう」という方がいい。「未来の人間が今の暮らしを享受できなくなる」という、未来の選択肢を減らさない、または酷い選択肢を増やさないことが環境運動だと感じます。  となると、それが今の必然というか、まさに「日本人が変われるチャンス」です。それさえできれば、日本人はもっと精神的に潤うし、豊かになれるはずなんです。  もっと国にプライドが持てて、堂々とすごせる社会をつくる。それは今、あまりにも混沌とした何でもありな状況になり過ぎて、そこであえて精神論的な正論じゃない、ビジネス的にも「儲かる」という、それこそみんでんのような新しい手法の方に説得力があるのかもしれない。  ある人の人気や言葉にやっかむとかでなく、それがそこにあるから、社員として入れるし、電気を買う人もつくれる人もいるという構造は強いと思います。

だから福島にできつつある安心や安全のかたちも、もっと今後の日本の、本当のビジネスに発展していけばいい。それで自分が儲けたいというよりは、日本が今後そういう方向になっていくことが大切で、そうなる経験や歴史は十分あると思っています。  問題定義をしたり、誰かのせいにして終わらせるのではなく、気持ちよく、堂々と生きていきたい。  まだ日本は、「魔法」にかかってしまったままなんです。

キャンドルジュン FIELD ARTIST / CANDLE ARTIST 1994年、キャンドルの制作を始める。 「灯す場所」にこだわりキャンドルデコレーションというジャンルを確立、様々な空間演出を手掛ける。 2001年、原爆の残り火とされる「平和の火」を広島で灯してからは、悲しみの地を巡る旅「Candle Odyssey」と称し、N.Y.グラウンドゼロ、アフガニスタン、終戦記念日に中国チチハルにて火を灯す。 2011年、東日本大震災を受けて「LOVE FOR NIPPON」発足、被災地での支援活動を始める。月命日となる11日には、毎月、福島各地でキャンドルナイトを行い、3月にはフェスティバル「SONG OF THE EARTH FUKUSHIMA」を開催。 これまでのつながりから、支援活動は熊本や長野へと広がっている。 「新しい被災地支援=LOVE FOR NIPPONとみんな電力のコラボ」記事、いかがでしたか?ご参加、お待ちしております

協力:早川弥生

TADORiST

平井有太
平井有太

エネルギーのポータルサイト「ENECT」編集長。1975年東京生、School of Visual Arts卒。96〜01年NY在住、2012〜15年福島市在住。家事と生活の現場から見えるSDGs実践家。あらゆる生命を軸に社会を促す「BIOCRACY(ビオクラシー)」提唱。著書に『虚人と巨人』(辰巳出版)など https://www.facebook.com/dojo.screening X  @soilscreening

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